鳩山総理辞任(その2)

鳩山総理辞任(その2)

2010年6月10日

辞任の発表の後国会の廊下を歩いていたら、テレビカメラのクルーが声をかけてきた。
「NHKですが、川口さんですね。インタヴューに応じてもらえますか」
最近ではめったにないことなので「どうぞ、どうぞ」と私。

「鳩山総理が辞めるが、感想は」
「もっと早くやめてもらったほうがよかった。普天間にせよ、政治とカネにせよ、問題なことばかり。その間、日本の力はどんどんそがれていった。」
「参議院選挙が近いが、自民党から見てどうですか」
「関係ありません。自民党は、われわれの政策を訴えていくのみです」

最後の質問への答がお眼鏡にかなわなかったかどうか知らないが、残念ながら放映されなかった。

そして、菅総理が誕生し、脱小沢を巧みに演出した人事で民主党は勢いを盛り返した。鳩山政権に「愛想をつかした」有権者は、「もしかしたら、今回はうまくやってくれるかも・・」という期待を持ち、その分、みんなの党などの少数政党や自民党への支持が減少した。

政治はシーソーゲームではない。民主党への支持が落ち、その反射として自民党の支持が上がる形では、自民党は、真の意味で民意の受け皿になりえていない。今の数字は、実態と、国民へのプレゼンテーションと両方の面で、まだまだ、努力が必要であることを示している。

私は、政策では自民党のほうがよい政策を提示していると思う。他党がどうであれ、マニフェストに盛り込まれた政策についてのご理解を国民に頂くよう、とことん努めなければいけない。他党がダメだからではなく、自民党がよいから選んでいただくこと。これに尽きると思う。

ただ、政策だけでは選んではいただけない。同時に自民党が引きずっている古いイメージを明確に脱ぎ捨てることが大事だ。「自民党は変わっていないじゃないの」との印象を変えていただくことが大事だとの認識が足りないし、変える努力がまだ足りない。

何がゆえに鳩山総理は失敗したのか。
鳩山総理は、普天間と政治とカネの二つの問題を理由としてあげた。現象的にはそれらが大きな要因であったとは思うが(この他にも口蹄疫などまだまだある。)、なぜ、普天間と政治とカネであれだけつまずいたのか、その構造的要因が菅総理が誕生したことによって変わったのかどうかを、国民に見極めてもらうことが重要だ。

構造的要因とは、党運営や政策決定に見られる不透明さ、権力の専横などの非民主的政治体制、すなわち、小沢前幹事長の影響力の大きさである。また、政策を立案し実行していくために必要な基本的な体制が出来ていないことである。

小沢前幹事長の発想の原点は権力を持ち続けることであり、そのために、権力やカネを不透明な形で集め使い、参議院選挙に勝つために政策を使ってきた。普天間の迷走も、社民党を連立に組み込んだことから来ている。カネを何に使ったかについての説明はいまだに小沢、鳩山両名からはない。

政権立案能力、実行能力について、もしこれがあれば、「少なくとも県外」というせりふや、財源もないのに防衛費より大きい予算を子供手当てにするというバラマキ政策はできなかったはずである。

鳩山政権は、小沢前幹事長の権力と一体化することによって生まれ、そのために挫折したと私は思う。今度の菅新体制が、小沢氏の影響力から自由であるとは控えめに言っても思えない。150名に及ぶ小沢チルドレンの影響力は大きい。

また、政策面でも、8月までに普天間について地元の了解を得る事は不可能に思えるし、財政立て直し策も見えない。スタート時点での政策課題の大変さで言えば、菅政権の方がはるかに大変だ。

国会の延長問題ははっきりしていないが、ここは、新政権として予算委員会を開き質疑に応じ、国民の目に政権が考えていることを提示すべきなのである。鳩山、小沢の政治とカネの問題に手をつけられない菅内閣なら、何も民主党では変わらない。

自民党は、「自助、共助、公助」の考え方に基づく政策を繰り返し国民に説明し、「新しい自民党」をアッピールすべきである。